故園黄葉
文化勲章受章の大作家である阿川弘之さんの小説を読んだ記憶は、恥ずかしながら無く、私には法律家の阿川尚之さん、エッセイストの阿川佐和子さんの父君としての方が親しい。
借りていた図書を返却した後で、何を借りるというあてもなくエッセイ集の棚を「ア」から順に眺め始めた。
最近では長い小説を読む根気が無くなり、短編集やエッセイ集に手が伸びる。そしてこれらについても最初から最後まで読み通すというよりも、面白そうなものを選んで読み始める。結果的に順不同で全編読み終えるということもあるが、一部だけ読んで終わりということも偶にある。
最初に目に付いたのは阿川弘之さんの「故園黄葉」(講談社)だった。茶色の表紙には「故園黄葉満青苔 夢後城頭暁角哀 此夜断腸人不見 起行残月影徘徊」(読み下し文では 故園(こえん)の黄葉(こうよう)青苔(せいたい)に満つ 夢後(むご)城頭(じょうとう)暁角(ぎょうかく)哀し 此の夜(よ)断腸(だんちょう)す人見えざるに 起ちて行けば残月影(かげ)徘徊(はいかい)す となるのだろうか)と私の知らない七言絶句だけが書かれていた。洒落た装丁である。直ぐに借り出し手続きを取った。
借り出したもののどうしてこの七言絶句が表紙に書かれているのだろうか、とかなり気になった。残念ながら岩波文庫の「唐詩選」(上、下)は今や手元にはない。書棚の世界古典文学大系を紐解く気力もない。試しにグーグルの検索欄に「故園黄葉満青苔」と打ち込んだ。結果は「顧況(こきょう)という人物の聴角思帰(ちょうかくしき、角を聴いて帰らんことを思う)と題された七言絶句」だと分かった。出典は分かったが、これが表紙に書かれている意味はなんだろうと疑問は残る。
この本には前文もあとがきもなく、内容はというと阿川さんがいろんなところに書かれたエッセイ、紀行文、いろんな書籍の推薦文、葬儀委員長挨拶など多岐に亘る。
タイトルを順に眺めて行くと、最後の方に「故園黄葉」と題された文章があった。これは友人・遠藤周作さんを追悼する文章、あるいは遠藤さんを思い出している文章だったが、ここに答が書かれていた。
阿川さんの文章は「諸橋の漢和辞典で『故園』といふ言葉を調べてゐたら、用例に『故園黄葉』と始まる七言絶句が出てゐた」で始まり、「読んで、はからずも遠藤周作を思ひ出した」と続く。そして、遠藤さんの阿川夫人の体調不良に対する20年来の幾度とない優しく思いやりのある態度が遠藤さんの人柄を示す友としての言葉でかなり長く書かれている。阿川夫人は遠藤さんの言葉で心が休まったそうだ。
還暦が過ぎてからの体調不良についての阿川夫人の訴えに遠藤さんは一瞬沈黙した後「秋が来て、木の葉が段々色づいて、枯れて落ちて行くのと同ンなじなんやなあ」と独り言を言ったそうだ。
阿川さんは「故園黄葉」の全文を思い出して「ありありと思ひ出したうつし身の遠藤は、もう此の世にゐない」と書き、この6頁のエッセイを「若い頃、故郷の色づいた落葉など、格別感興の対象にならず、すぐ忘れてしまったのか、それとも現在、自分の頭の中が『黄葉青苔に満つ』状態なのかと、暫く考へこまされた」で閉じる。
阿川さんと遠藤さんとの交流については、いろんな書き物で読み、知っていたが、このような言葉で亡き友を偲ぶお二人の交遊をある意味羨ましく思った。
「故園黄葉」を読んだ後、タイトルを見て関心を持ったものから順不同で読み始め、全てを読んだが、流石に背後に膨大な蓄積がある大作家の文章は上手い。栄養の詰まった滋味豊かな料理を楽しんだような気分になった。
借りていた図書を返却した後で、何を借りるというあてもなくエッセイ集の棚を「ア」から順に眺め始めた。
最近では長い小説を読む根気が無くなり、短編集やエッセイ集に手が伸びる。そしてこれらについても最初から最後まで読み通すというよりも、面白そうなものを選んで読み始める。結果的に順不同で全編読み終えるということもあるが、一部だけ読んで終わりということも偶にある。
最初に目に付いたのは阿川弘之さんの「故園黄葉」(講談社)だった。茶色の表紙には「故園黄葉満青苔 夢後城頭暁角哀 此夜断腸人不見 起行残月影徘徊」(読み下し文では 故園(こえん)の黄葉(こうよう)青苔(せいたい)に満つ 夢後(むご)城頭(じょうとう)暁角(ぎょうかく)哀し 此の夜(よ)断腸(だんちょう)す人見えざるに 起ちて行けば残月影(かげ)徘徊(はいかい)す となるのだろうか)と私の知らない七言絶句だけが書かれていた。洒落た装丁である。直ぐに借り出し手続きを取った。
借り出したもののどうしてこの七言絶句が表紙に書かれているのだろうか、とかなり気になった。残念ながら岩波文庫の「唐詩選」(上、下)は今や手元にはない。書棚の世界古典文学大系を紐解く気力もない。試しにグーグルの検索欄に「故園黄葉満青苔」と打ち込んだ。結果は「顧況(こきょう)という人物の聴角思帰(ちょうかくしき、角を聴いて帰らんことを思う)と題された七言絶句」だと分かった。出典は分かったが、これが表紙に書かれている意味はなんだろうと疑問は残る。
この本には前文もあとがきもなく、内容はというと阿川さんがいろんなところに書かれたエッセイ、紀行文、いろんな書籍の推薦文、葬儀委員長挨拶など多岐に亘る。
タイトルを順に眺めて行くと、最後の方に「故園黄葉」と題された文章があった。これは友人・遠藤周作さんを追悼する文章、あるいは遠藤さんを思い出している文章だったが、ここに答が書かれていた。
阿川さんの文章は「諸橋の漢和辞典で『故園』といふ言葉を調べてゐたら、用例に『故園黄葉』と始まる七言絶句が出てゐた」で始まり、「読んで、はからずも遠藤周作を思ひ出した」と続く。そして、遠藤さんの阿川夫人の体調不良に対する20年来の幾度とない優しく思いやりのある態度が遠藤さんの人柄を示す友としての言葉でかなり長く書かれている。阿川夫人は遠藤さんの言葉で心が休まったそうだ。
還暦が過ぎてからの体調不良についての阿川夫人の訴えに遠藤さんは一瞬沈黙した後「秋が来て、木の葉が段々色づいて、枯れて落ちて行くのと同ンなじなんやなあ」と独り言を言ったそうだ。
阿川さんは「故園黄葉」の全文を思い出して「ありありと思ひ出したうつし身の遠藤は、もう此の世にゐない」と書き、この6頁のエッセイを「若い頃、故郷の色づいた落葉など、格別感興の対象にならず、すぐ忘れてしまったのか、それとも現在、自分の頭の中が『黄葉青苔に満つ』状態なのかと、暫く考へこまされた」で閉じる。
阿川さんと遠藤さんとの交流については、いろんな書き物で読み、知っていたが、このような言葉で亡き友を偲ぶお二人の交遊をある意味羨ましく思った。
「故園黄葉」を読んだ後、タイトルを見て関心を持ったものから順不同で読み始め、全てを読んだが、流石に背後に膨大な蓄積がある大作家の文章は上手い。栄養の詰まった滋味豊かな料理を楽しんだような気分になった。