岸本さん連続講座から学んだこと(1)
「図書館を考える大津市民の会」では、2019年度の大きな取り組みとして「連続学習会 お話しと意見交流」を開いた。講師に元滋賀県立図書館館長の岸本岳文さんをお招きした。
私自身、図書館で働いた経験もなく、頻繁な図書館利用者でもない。が、岸本さんのお話しを聞いてどれだけ図書館が大切かを学んだ。聞いていて「生まれ変わったら、今度は図書館司書になって働きたい」という気持が沸き上がってきたぐらいだ。自分でもおかしい感情の高まりだが、それだけ仕事に対して真摯に向き合い、誇りを持って取り組むという情熱的な話だった。
講座で心に残っていることは多いが、こんなことがあった。
「学校図書館の働きは、子どもたちが本好きになることだけではない。授業が変わることなんです」そう言われた時、私は心の中で拍手した。
そうだ。授業が変わるのだ。図書館の資料を活用することで、子どもたちが目を輝かせて学ぶことができたという経験がある私は、胸が熱くなった。
例えば、国語の授業では、発展のところで「読書を」という流れが本当に多い。その時、教師が図書室からその著者の書物を教室に運ぶだけで授業は変わる。また、公立図書館でその著者の多くの本を学校で借りることで、その授業は豊かさを持つ。
また、例えば6年生の教材「ヒロシマのうた」の著者は今西佑行さんだが、その教材との出会いの時、図書室にある原爆資料や著者の他の書物を活用することで内容の理解へと深まる。
社会科で江戸時代の地域歴史を教材化したときに活用したのが、公立図書館の歴史資料と学校の図書室の「地域の歴史話」だった。
一番思い出される授業は、五年生説明文教材「森林のおくりもの」だ。これは、富山和子さん作の「生きているシリーズ」の一つ「森は生きている」の中の一章である。学校図書室の選書の際に各学年から図書担当へ要望を出すのだが、その年、一つの学年から「森は生きている」の本を40冊購入要望が出た。子どもたちは、教科書と共に一人一冊の「森は生きている」の本を手元に置いて授業を受けた。教科書に書かれている内容と共に新たな内容も知識として得ることができ、「生きている」ことの理解を深めた。さらに、それだけで留まらず「川は生きている」「道は生きている」「お米は生きている」「海は生きている」の読書へと発展した。
学校の授業は、教科書会社が作る教科書だけで進めることも可能だ。だが、こういう例を一つずつ思い出すと、その時の子どもたちの学びの意欲が浮かんできて、それを可能にした学校の図書室のありがたさが思い出される。また、学校と公立図書館の連携も学びをさらに豊かにした。
一つ残念なのは、学校に図書館司書がいなかったことである。司書教諭は配置されていたが、それは教師の校務分掌の一つであり、司書教諭になったからといって学校の授業時間や仕事量が削減され図書の仕事に従事できる時間が増えたわけではなかった。となると、図書室の本を探して選ぶのは、教師にかかっている。教師が「どういう授業をしたいか するのか」の熱意の問題になってくる。
もし、学校に専任の司書が配置されていたなら、この時期この学年ではこんな授業が展開するのだと司書が把握して、司書から教師への投げかけも可能になるだろう。
「学校に図書室はある」のだから、どういう形であれ、学校ではそれをまず活用していただきたいと切に願う。
私自身、図書館で働いた経験もなく、頻繁な図書館利用者でもない。が、岸本さんのお話しを聞いてどれだけ図書館が大切かを学んだ。聞いていて「生まれ変わったら、今度は図書館司書になって働きたい」という気持が沸き上がってきたぐらいだ。自分でもおかしい感情の高まりだが、それだけ仕事に対して真摯に向き合い、誇りを持って取り組むという情熱的な話だった。
講座で心に残っていることは多いが、こんなことがあった。
「学校図書館の働きは、子どもたちが本好きになることだけではない。授業が変わることなんです」そう言われた時、私は心の中で拍手した。
そうだ。授業が変わるのだ。図書館の資料を活用することで、子どもたちが目を輝かせて学ぶことができたという経験がある私は、胸が熱くなった。
例えば、国語の授業では、発展のところで「読書を」という流れが本当に多い。その時、教師が図書室からその著者の書物を教室に運ぶだけで授業は変わる。また、公立図書館でその著者の多くの本を学校で借りることで、その授業は豊かさを持つ。
また、例えば6年生の教材「ヒロシマのうた」の著者は今西佑行さんだが、その教材との出会いの時、図書室にある原爆資料や著者の他の書物を活用することで内容の理解へと深まる。
社会科で江戸時代の地域歴史を教材化したときに活用したのが、公立図書館の歴史資料と学校の図書室の「地域の歴史話」だった。
一番思い出される授業は、五年生説明文教材「森林のおくりもの」だ。これは、富山和子さん作の「生きているシリーズ」の一つ「森は生きている」の中の一章である。学校図書室の選書の際に各学年から図書担当へ要望を出すのだが、その年、一つの学年から「森は生きている」の本を40冊購入要望が出た。子どもたちは、教科書と共に一人一冊の「森は生きている」の本を手元に置いて授業を受けた。教科書に書かれている内容と共に新たな内容も知識として得ることができ、「生きている」ことの理解を深めた。さらに、それだけで留まらず「川は生きている」「道は生きている」「お米は生きている」「海は生きている」の読書へと発展した。
学校の授業は、教科書会社が作る教科書だけで進めることも可能だ。だが、こういう例を一つずつ思い出すと、その時の子どもたちの学びの意欲が浮かんできて、それを可能にした学校の図書室のありがたさが思い出される。また、学校と公立図書館の連携も学びをさらに豊かにした。
一つ残念なのは、学校に図書館司書がいなかったことである。司書教諭は配置されていたが、それは教師の校務分掌の一つであり、司書教諭になったからといって学校の授業時間や仕事量が削減され図書の仕事に従事できる時間が増えたわけではなかった。となると、図書室の本を探して選ぶのは、教師にかかっている。教師が「どういう授業をしたいか するのか」の熱意の問題になってくる。
もし、学校に専任の司書が配置されていたなら、この時期この学年ではこんな授業が展開するのだと司書が把握して、司書から教師への投げかけも可能になるだろう。
「学校に図書室はある」のだから、どういう形であれ、学校ではそれをまず活用していただきたいと切に願う。