ツケ置きのコーヒー
「ツケ置きのコーヒー」とはなんぞや。
最初に絵解きをしておこう。「ツケ置きのコーヒー」とは、ナポリでお客がバールを出るとき、何杯分か余計にお金を置く。懐に余裕がない、しかしコーヒーが飲みたい、というような人がバールに立ち寄り、見知らぬ人が残していったお金でコーヒーが楽しめる。そういう計らいのことだそうだ。
会計の際ジェンナーロは、心付けにしてはやや多過ぎる額を置き、釣り銭を受け取らずにそのまま、店を出た。不可解に思っていると「ツケ置きのコーヒーですよ」という。恵んでやるのだ、と威張るふうもなくジェンナーロがあっさり説明するところを見ると、ナポリでは当たり前の習慣なのだろう。
「ジーノの家 イタリア10景」(2011年、文藝春秋)で著者・内田洋子さんはこのように書いている。
ミラノに住んでいる著者は恩人である老夫人をナポリで見舞った帰りに彼女との思い出を確かめるためにバールに立ち寄り、バールマンと老夫人の思い出話をしつつ、老夫人の残してくれた「ツケ置きのコーヒー」を飲んだ。バールマンが奥の棚から出してくれた老夫人愛用の淡いピンクの花柄のコーヒーカップを前にして。(同書221頁以下)
これは何と言うのだろうか、「ツケ置きのビール」とでも言ってみようか。
我われ大学写真部OBが毎月の最終週の火曜日の午後5時30分に京都・四条河原町の居酒屋に集まる「地球屋の会」と称する会がある。日程連絡はあるものの事前の参加意思の確認はない。都合のつく人だけが集まる。参加者が1人になったら解散する。ルールはこれだけである。現在ではいつも7~8人が集まり、ワイワイ、ガヤガヤ騒いでいる。
OB連中の話が一段落した頃に、実験や家庭教師を終えた現役部員が三々五々集まる。我われOBにとっては孫に近い年代の若者である。以後は若者を含めての話題に移る。彼らは自由に飲み、食事をし、礼儀正しい態度で意見を述べ、先輩の話を聞く。
8時頃になると、若者たちを残しOB陣は席を立つ。そのとき現役部員のそれまでの飲食代や以降の酒代を含めた代金を適当に支払っておく。ナポリのコーヒーになぞらえて言えば「ツケ置きのビール」になるのだろう。
「ツケ置きのコーヒー」では著者は老夫人の思い出に浸ったが、「ツケ置きのビール」では我われ老齢者は若者から新しいトレンドを教えられ、元気を貰っている。
最初に絵解きをしておこう。「ツケ置きのコーヒー」とは、ナポリでお客がバールを出るとき、何杯分か余計にお金を置く。懐に余裕がない、しかしコーヒーが飲みたい、というような人がバールに立ち寄り、見知らぬ人が残していったお金でコーヒーが楽しめる。そういう計らいのことだそうだ。
会計の際ジェンナーロは、心付けにしてはやや多過ぎる額を置き、釣り銭を受け取らずにそのまま、店を出た。不可解に思っていると「ツケ置きのコーヒーですよ」という。恵んでやるのだ、と威張るふうもなくジェンナーロがあっさり説明するところを見ると、ナポリでは当たり前の習慣なのだろう。
「ジーノの家 イタリア10景」(2011年、文藝春秋)で著者・内田洋子さんはこのように書いている。
ミラノに住んでいる著者は恩人である老夫人をナポリで見舞った帰りに彼女との思い出を確かめるためにバールに立ち寄り、バールマンと老夫人の思い出話をしつつ、老夫人の残してくれた「ツケ置きのコーヒー」を飲んだ。バールマンが奥の棚から出してくれた老夫人愛用の淡いピンクの花柄のコーヒーカップを前にして。(同書221頁以下)
これは何と言うのだろうか、「ツケ置きのビール」とでも言ってみようか。
我われ大学写真部OBが毎月の最終週の火曜日の午後5時30分に京都・四条河原町の居酒屋に集まる「地球屋の会」と称する会がある。日程連絡はあるものの事前の参加意思の確認はない。都合のつく人だけが集まる。参加者が1人になったら解散する。ルールはこれだけである。現在ではいつも7~8人が集まり、ワイワイ、ガヤガヤ騒いでいる。
OB連中の話が一段落した頃に、実験や家庭教師を終えた現役部員が三々五々集まる。我われOBにとっては孫に近い年代の若者である。以後は若者を含めての話題に移る。彼らは自由に飲み、食事をし、礼儀正しい態度で意見を述べ、先輩の話を聞く。
8時頃になると、若者たちを残しOB陣は席を立つ。そのとき現役部員のそれまでの飲食代や以降の酒代を含めた代金を適当に支払っておく。ナポリのコーヒーになぞらえて言えば「ツケ置きのビール」になるのだろう。
「ツケ置きのコーヒー」では著者は老夫人の思い出に浸ったが、「ツケ置きのビール」では我われ老齢者は若者から新しいトレンドを教えられ、元気を貰っている。