日本に現れたオーロラ
テレビ画面から「(2024年)10月11日に、太陽フレアの影響で地球の磁場や電離層が乱れた結果、北海道や関東地方などでオーロラが見られました。普段は北欧やカナダなどでしか見られないオーロラが、日本でも観測できたのは非常に珍しい現象です。例えば、北海道の七飯町や石川県の能登半島、群馬県の赤城山などでオーロラが撮影されました。この現象は、太陽の表面で起きた爆発『太陽フレア』によるもので……」という音が流れてきました。「ふーん」「磁場や電離層が乱れた結果って何のこと、どういう意味?」「太陽フレアって?」と聞き流しましたが、頭の中で「確か藤原定家の明月記には今で言うオーロラと同じようなものが現れた、と書いてあったのでは?」と漠然とした60年前の古い記憶が蘇りました。
巻頭解説で「オーロラが光るための三要素」としての太陽風、地磁気、大気が図解されていますが、いわゆるド文系の私には説明を読んでもよく分かりません。
著者はオーロラについて「オーロラとは何でしょうか。‥‥‥私は、オーロラとは宇宙空間が人間の目にも見えるようになる現象です、と答えるようにしています」と書いています。何となく解ったような気になります。「オーロラは地球の近くに現れている自然現象のように見えるかもしれませんが、宇宙空間で発光している現象で、緑色のオーロラは地上からの高さ100km、赤色のオーロラは400kmで発光している」そうです。
私が知っている高度400kmというと国際宇宙ステーションの軌道の平均高度です。そのようなところで発光している現象が地球で見えるオーロラということになります。
時間を持て余している身には恰好の話題、問題です。手元にはこれらに関する本はありません。直ぐに図書館の蔵書を「日本 オーロラ」というキーワードで検索しました。あまり期待はしていなかったのですが一発で「日本に現れたオーロラの謎」(片岡龍峰、化学同人社)が出て来ました。著者は宇宙空間物理学を専門にする国立極地研究所准教授とありました。
巻頭解説で「オーロラが光るための三要素」としての太陽風、地磁気、大気が図解されていますが、いわゆるド文系の私には説明を読んでもよく分かりません。
著者はオーロラについて「オーロラとは何でしょうか。‥‥‥私は、オーロラとは宇宙空間が人間の目にも見えるようになる現象です、と答えるようにしています」と書いています。何となく解ったような気になります。「オーロラは地球の近くに現れている自然現象のように見えるかもしれませんが、宇宙空間で発光している現象で、緑色のオーロラは地上からの高さ100km、赤色のオーロラは400kmで発光している」そうです。
私が知っている高度400kmというと国際宇宙ステーションの軌道の平均高度です。そのようなところで発光している現象が地球で見えるオーロラということになります。
そして私の脳裏にあった漠然とした記憶についですが、「日本に現れたオーロラの謎」には藤原定家の明月記にはオーロラと思われる現象について、(現代語に訳せば)次のような記述があると書かれていました。
建仁四年正月十九日(1204年2月21日)、晴れ、日が暮れてから北および北東の方角に赤気が出た。その赤気の根元のほうは月が出たような形で、色は白く明るかった。その筋は遠くに続き、遠くの火事の光のようだった。白いところが五箇所あり、赤い筋が三、四筋。それは雲ではなく、雲間の星座でもないようだ。光が少しも陰ることのないままに、このような白光と赤光が入り混じっているのは不思議なうえにも不思議なことだ。恐るべきことである。
更に、同じような現象が京都の仁和寺の歴史を記した「御室相承記」という本にも書かれているそうです。そこには、
建仁四年二月十九日、午後八時頃、赤気が白雲に混じって北西から北東の空にかけて見えた。二〇日も同じことが起きた。北東から北に至るまで空には白雲がなかった。二一日も同じ。稀に見る天変だったので高野山参詣を取りやめた。
とあります。
これらの文献に書かれている「赤気」とは「夜空に出現した怪しい赤い光」を言っているようです。これらによりオーロラが日本で見られたことがあったのだ、と理解しました。
藤原定家の新しい側面を知ったことです。
これらの文献に書かれている「赤気」とは「夜空に出現した怪しい赤い光」を言っているようです。これらによりオーロラが日本で見られたことがあったのだ、と理解しました。
科学的な記述は全く理解できなかったのですが、日本においても昔から何度もオーロラが現れていること、そしていろんな書物にそれが書かれ、描かれた絵も残っていることを教えてくれた書物で、その副題に「時空を超えて読み解く『赤気』の記録」とあるのは内容を簡潔に示していると思いました。
余談ですが、この本には「科学者としての藤原定家」という項があり、そこには2019年3月に「明月記」が第一回日本天文遺産に認められたことが書かれています。その理由は「望遠鏡発明前に観察された超新星のうち3件(1006年、1054年、1181年)が記載されているほか、日食や月食、オーロラなどの天文現象についての記載があり、天文現象の古記録としてきわめて重要な意義を有する」というものだそうです。
藤原定家の新しい側面を知ったことです。