原作と映画
映画を見ると原作が読みたくなり、本を読むと映画になってないかと探す。原作と映画の違いを比べるのが大変おもしろい。
「どっちがいい?」
とよく聞かれる。六割ぐらいの割合で「原作がいい」と答えている。でも、あくまで内容による。
例えば、山崎豊子作の「大地の子」と「沈まぬ太陽」は、原作も読んだし映画も見たが、彼女の作品は断然原作がいい。長い間調べ抜いた緻密な内容を映画に投影させるのは、やはり無理がある気がする。心が揺さぶられる読後感は、映画鑑賞の後にはなかった。
「原作と映画の両方おすすめ。絶対、映画も見て」とみんなに誘っているのが、中国映画「小さな中国のお針子」だ。
原作は「バルザックと小さな中国のお針子」で作者はダイ・シージエ。日本語の翻訳は新島進である。
「バルザックと小さな中国のお針子」は、1971年の中国が舞台となっている物語。そのころ中国は毛沢東による文化大革命の嵐が吹き荒れていた。主人公の17歳の青年と、主人公と幼なじみであった18歳の青年の二人は、「知識青年」であったために僻地の農村へ「再教育」のために送り込まれた。二人はそこで、お針子をしている若い美しい娘と出会う。
「バルザックと小さな中国のお針子」は、二人の青年がお針子に恋をする話がメインストーリーに、主人公の青年が「再教育」をとおして文学にふれる話がサブストーリーになっている。はらはらしながら物語を読み、二人の青年とお針子の少女に心を寄せる。
某映画評論家も『「原作を上回る映画はない」というのが持論の私だが、今回ばかりは致し方ないか。』とある書評で書いていた。なぜに映画が良かったかというと、その映像の美しさである。その山裾の美しい風景には虜になった。主人公達が住んでいる所は湖南省、張家界で撮影されたということだった。山の尾根の細い道や石の階段、あそこも張家界にあるのだろうかと興味をそそられた。
中国旅行ツァーにその地が含まれていたものがあり、とうとう飛んでいった。映画以上の美しさがそこにあった。
この映画の監督も作者本人である。そして、映画制作許可が出るには一年間もかかったとか。中国とフランスの合作である。
一冊の本は、映画鑑賞の興味を抱かせ、歴史背景を学びたいという意欲も湧く。この本を読んだ後に文化大革命も少しかじった。さらに、自分の目で映像のロケ現場まで見てみたいという欲望まで生まれ実行した。 それは、図書館の小さな書棚から始まった。
「どっちがいい?」
とよく聞かれる。六割ぐらいの割合で「原作がいい」と答えている。でも、あくまで内容による。
例えば、山崎豊子作の「大地の子」と「沈まぬ太陽」は、原作も読んだし映画も見たが、彼女の作品は断然原作がいい。長い間調べ抜いた緻密な内容を映画に投影させるのは、やはり無理がある気がする。心が揺さぶられる読後感は、映画鑑賞の後にはなかった。
「原作と映画の両方おすすめ。絶対、映画も見て」とみんなに誘っているのが、中国映画「小さな中国のお針子」だ。
原作は「バルザックと小さな中国のお針子」で作者はダイ・シージエ。日本語の翻訳は新島進である。
「バルザックと小さな中国のお針子」は、1971年の中国が舞台となっている物語。そのころ中国は毛沢東による文化大革命の嵐が吹き荒れていた。主人公の17歳の青年と、主人公と幼なじみであった18歳の青年の二人は、「知識青年」であったために僻地の農村へ「再教育」のために送り込まれた。二人はそこで、お針子をしている若い美しい娘と出会う。
「バルザックと小さな中国のお針子」は、二人の青年がお針子に恋をする話がメインストーリーに、主人公の青年が「再教育」をとおして文学にふれる話がサブストーリーになっている。はらはらしながら物語を読み、二人の青年とお針子の少女に心を寄せる。
某映画評論家も『「原作を上回る映画はない」というのが持論の私だが、今回ばかりは致し方ないか。』とある書評で書いていた。なぜに映画が良かったかというと、その映像の美しさである。その山裾の美しい風景には虜になった。主人公達が住んでいる所は湖南省、張家界で撮影されたということだった。山の尾根の細い道や石の階段、あそこも張家界にあるのだろうかと興味をそそられた。
中国旅行ツァーにその地が含まれていたものがあり、とうとう飛んでいった。映画以上の美しさがそこにあった。
この映画の監督も作者本人である。そして、映画制作許可が出るには一年間もかかったとか。中国とフランスの合作である。
一冊の本は、映画鑑賞の興味を抱かせ、歴史背景を学びたいという意欲も湧く。この本を読んだ後に文化大革命も少しかじった。さらに、自分の目で映像のロケ現場まで見てみたいという欲望まで生まれ実行した。 それは、図書館の小さな書棚から始まった。