「日本語ドリル」
新しく発行された本についてだったか、よく売れている本についてだったか、どのような欄に書かれていたかは全く覚えていないが、新聞の数行の記事でこの本が紹介されていた。「知らなきゃ恥ずかしい!?」との副題の付された上田まりえ著「日本語ドリル」(祥伝社黄金文庫)である。著者は元アナウンサーだそうだ。
図書館の在庫を検索すると100人を超える予約が既になされていた。自分で買うほどの本でもあるまいと思い、忘れた頃に連絡があるだろうと一応予約の手続きをした。
手にした本は予想どおりの内容だった。比較的間違いやすい表現や用語について正しいものと間違っているものを並べ、簡潔にその説明をしている。ほとんどの問題は正しく答えることができたが、「存亡の危機」(正しくは「存亡の機」)「見かけ倒れ」(正しくは「見かけ倒し」などは、過去に無意識に間違った表現を使ったこともあるかも知れないと反省した。
なかに「とんでもありません!」と「とんでもないことです!」があった。これを見たときにかつてあるテレビ番組から引退するアナウンサーの渡辺真理さんが最後の番組でそれまでの彼女の貢献を最高の誉め言葉で称えられたときに、彼女がきっちりと「とんでもないことでございます」と言ったことを思い出した。
「舌鼓」をどう読むかの問題では、テレビの旅番組のナレーションを担当している落語家がきっちりと「したつづみ」と発音しているのを聞いて「前座の頃に師匠にきっちりと教育されていたのかも知れない」と思ったこともある。
著者は「一番最初」と「一番はじめ」については「最初」は「一番はじめ」の意だと書き、「一番最初」は重複表現になってしまう、と教えてくれる。「まず最初に」も同じである。
私は文章でよく「一番最初に……」と書く。そのときは私のパソコンではその下部に二重線が引かれ、検討するようにと教えてくれる。多くの場合、パソコン先生の指摘に従って表現を改めるが、場合によっては文章の勢いからそのままにすることもある。「従来から」も同じような理由で使うことが多い。ただ「過半数を超える」は使わないようにして「半数を超える」や「過半数に達する」とするように努めているつもりである。
また、無意識に書く「違和感を感じる」も読み直したときに「違和感を覚える」や「違和感を抱く」と書き換えるようにしている。
著者はあとがきで語法に存在する「ゆれ」について「近年はSNSなどの普及により、誰もが気軽に広く世の中に発信できるようになりました。そのため、言葉の変化していくスピードが、一層速くなっているように感じます。本書に掲載した語も、おそらく数年以内で変化するものが出てくると思います。言葉はその時代を映し、後世に歴史を伝える重要な役割を担っています」と書いている。「ゆれ」についてどのような意見なのかははっきりとは書かれていないが、「ゆれ」の存在を認めつつも、あまりにも早い「ゆれ」はいいことではない、と思っているのだろう。
私自身は「言葉は変化する」ということは認めつつも、ちょっと辞書を引けば簡単に正しい表現が分かるのに、その手間を惜しんでかどうか、誤った言葉や用法が使われ、それが世を席巻し、それに追随する形で正しい言葉や用法が「ゆれ」るのは賛成し難い。
今もテレビから「なにげに」という言葉が聞こえてきた。
図書館の在庫を検索すると100人を超える予約が既になされていた。自分で買うほどの本でもあるまいと思い、忘れた頃に連絡があるだろうと一応予約の手続きをした。
手にした本は予想どおりの内容だった。比較的間違いやすい表現や用語について正しいものと間違っているものを並べ、簡潔にその説明をしている。ほとんどの問題は正しく答えることができたが、「存亡の危機」(正しくは「存亡の機」)「見かけ倒れ」(正しくは「見かけ倒し」などは、過去に無意識に間違った表現を使ったこともあるかも知れないと反省した。
なかに「とんでもありません!」と「とんでもないことです!」があった。これを見たときにかつてあるテレビ番組から引退するアナウンサーの渡辺真理さんが最後の番組でそれまでの彼女の貢献を最高の誉め言葉で称えられたときに、彼女がきっちりと「とんでもないことでございます」と言ったことを思い出した。
「舌鼓」をどう読むかの問題では、テレビの旅番組のナレーションを担当している落語家がきっちりと「したつづみ」と発音しているのを聞いて「前座の頃に師匠にきっちりと教育されていたのかも知れない」と思ったこともある。
著者は「一番最初」と「一番はじめ」については「最初」は「一番はじめ」の意だと書き、「一番最初」は重複表現になってしまう、と教えてくれる。「まず最初に」も同じである。
私は文章でよく「一番最初に……」と書く。そのときは私のパソコンではその下部に二重線が引かれ、検討するようにと教えてくれる。多くの場合、パソコン先生の指摘に従って表現を改めるが、場合によっては文章の勢いからそのままにすることもある。「従来から」も同じような理由で使うことが多い。ただ「過半数を超える」は使わないようにして「半数を超える」や「過半数に達する」とするように努めているつもりである。
また、無意識に書く「違和感を感じる」も読み直したときに「違和感を覚える」や「違和感を抱く」と書き換えるようにしている。
著者はあとがきで語法に存在する「ゆれ」について「近年はSNSなどの普及により、誰もが気軽に広く世の中に発信できるようになりました。そのため、言葉の変化していくスピードが、一層速くなっているように感じます。本書に掲載した語も、おそらく数年以内で変化するものが出てくると思います。言葉はその時代を映し、後世に歴史を伝える重要な役割を担っています」と書いている。「ゆれ」についてどのような意見なのかははっきりとは書かれていないが、「ゆれ」の存在を認めつつも、あまりにも早い「ゆれ」はいいことではない、と思っているのだろう。
私自身は「言葉は変化する」ということは認めつつも、ちょっと辞書を引けば簡単に正しい表現が分かるのに、その手間を惜しんでかどうか、誤った言葉や用法が使われ、それが世を席巻し、それに追随する形で正しい言葉や用法が「ゆれ」るのは賛成し難い。
今もテレビから「なにげに」という言葉が聞こえてきた。