「北京的胡同」(ペキンのフートン)
書棚には写真が中心の外国の観光地で買った本が20数冊並んでいる。怪しげな日本語の本もあるが私が読めないその国の言葉で書かれた本もある。これらの本は写真撮影が禁止されている場所を訪れたときに絵葉書の代わりに買うことが多いが、若い頃から関心を持っていた場所を訪れた時に思わず買った本もある。ヴュルツブルグの宮殿と宮廷庭園についての204頁の日本語の本は前者であり、カルカッソンヌについてのフランス語の本は後者に属する。
手にすることは少ないが、対象となっている観光地や建物がテレビの旅行番組に現れるとそれに触発されて手に取ることになる。
同じ棚に並んでいるが、中国語で書かれた「北京的胡同」との表題の書物は購入経緯がちょっと違う。
記憶では仕事帰りの北京の国際空港の売店で見つけた。北京的胡同(ペキンのフートン)とは「北京の旧城内を中心に点在する細い路地」で「伝統的家屋建築である四合院が多く存在し、古き良き北京の面影をしのばせる地域」であり、「庶民の生活が垣間見られる場所」であると説明されている。
この書物は写真集のつもりで買った。25cm×26cmの93頁のこの本にはモノクロームの数多くの古き良き時代(だったのだろう)の北京的胡同とそこで生活する庶民の姿が納められている。私が手元に何冊かを所有している日本の高度成長期以前の農村部を撮った写真集(例えば「ふるさと 薗部澄写真集」(1974年、山と渓谷社))とオーバーラップしたのだろう、何ら躊躇することなく買ったものである。
この本を買って何年か経過後の1997年5月4日付の朝日新聞朝刊の「閑話休題」欄に当時北京支局長だった加藤千洋氏が、経済発展によってこの北京的胡同が破壊されるのを憂うる7段組の文章を書いていた。この文章がかつて私が購入した「北京的胡同」を思い出させたのか、この古い切り抜きが頁の間に挟まれている。
この本に関する話には続きがある。この本を買って10年ほどたった頃、何度目かの北京出張があった。技術輸出契約交渉も無事に終わり、ラップアップ・ミーティングも済ませた最後の夕食の場で、交渉相手方の社長が明日の予定を聞いてきた。私は帰国便が12時頃の出発予定なのでそれまでの1~2時間を「北京的胡同」に行くつもりだと答えた。 これを聞いた社長は空港へ送りがてら会社の車で若い社員に案内させるという。好意を有難く受けたが、翌朝ホテルに迎えに来てくれた若い社員は胡同が存在する場所について全く知らず、私が地図を見て教えることになった。 このときに撮った、大きな樹が影を落とした胡同の細道を小さな荷車と自転車が交差しようとしている写真(下)は少し気に入っている。
手にすることは少ないが、対象となっている観光地や建物がテレビの旅行番組に現れるとそれに触発されて手に取ることになる。
同じ棚に並んでいるが、中国語で書かれた「北京的胡同」との表題の書物は購入経緯がちょっと違う。
記憶では仕事帰りの北京の国際空港の売店で見つけた。北京的胡同(ペキンのフートン)とは「北京の旧城内を中心に点在する細い路地」で「伝統的家屋建築である四合院が多く存在し、古き良き北京の面影をしのばせる地域」であり、「庶民の生活が垣間見られる場所」であると説明されている。
この書物は写真集のつもりで買った。25cm×26cmの93頁のこの本にはモノクロームの数多くの古き良き時代(だったのだろう)の北京的胡同とそこで生活する庶民の姿が納められている。私が手元に何冊かを所有している日本の高度成長期以前の農村部を撮った写真集(例えば「ふるさと 薗部澄写真集」(1974年、山と渓谷社))とオーバーラップしたのだろう、何ら躊躇することなく買ったものである。
この本を買って何年か経過後の1997年5月4日付の朝日新聞朝刊の「閑話休題」欄に当時北京支局長だった加藤千洋氏が、経済発展によってこの北京的胡同が破壊されるのを憂うる7段組の文章を書いていた。この文章がかつて私が購入した「北京的胡同」を思い出させたのか、この古い切り抜きが頁の間に挟まれている。
この本に関する話には続きがある。この本を買って10年ほどたった頃、何度目かの北京出張があった。技術輸出契約交渉も無事に終わり、ラップアップ・ミーティングも済ませた最後の夕食の場で、交渉相手方の社長が明日の予定を聞いてきた。私は帰国便が12時頃の出発予定なのでそれまでの1~2時間を「北京的胡同」に行くつもりだと答えた。 これを聞いた社長は空港へ送りがてら会社の車で若い社員に案内させるという。好意を有難く受けたが、翌朝ホテルに迎えに来てくれた若い社員は胡同が存在する場所について全く知らず、私が地図を見て教えることになった。 このときに撮った、大きな樹が影を落とした胡同の細道を小さな荷車と自転車が交差しようとしている写真(下)は少し気に入っている。