木を植えた男
ジャン・ジオノの短編「木を植えた男」を読んだのは何十年前だっただろうか。プロヴァンスの荒れ地に、約40年に亘って木の種を蒔き続け、山全体を緑に変えたブフィエ老人の話は若かった私の心を動かした。
私はこの老人は実在の人物だと信じた。そしてすばらしい老人がいるものだと感銘を受けた。
このすばらしい老人を知った何十年か後のことである。インターネットで「デュランス河」を検索していた時に、新井 満氏の「木を植えた男と出会って」という7頁ほどのPDFファイルに行き当たった。新井 満氏は、秋川雅史などの歌手により広く世の中に知られることになった「千の風になって」(Do not stand at my grave and weep)の訳者である。
PDFファイルの最初の2頁ほどには、この本「木を植えた男」を読むことになった事情と読んだ感想が書かれていた。続いて、感動のあまり作者のお墓参りをすることとし、作者の故郷を訪れ作者についていろいろと知ることになった経緯と知った内容が書かれている。帰国後には、夫人との共著の形で「木を植えた男を訪ねて――ふたりで行く南仏プロヴァンスの旅」という写真紀行文集を出版したことも書かれていた。
そして最後に、私には衝撃的であったが、この物語がノンフィクション(実話)ではなくフィクション(創作あるいは架空の物語)であったという事実を明かしている。 新井氏は、7頁の文章の最後に、事実はそうであっても多くの「木を植えた男」の存在があったに違いない、と締めくくり、私の心を安らかにしてくれた。
事実は新井氏の書いているとおりであっても、私の心の中では、ブフィエ老人は実在の人物である。この稿を書くに当たり再読したが、この気持は変わらない。(あとがきの中で訳者の原みち子さんは「ブフィエという人物は実在しないことがわかり…」と書いているのに気がついたが、何十年か前に初めて読んだ時には気が付かなかったのだろうか。気がついたがブフィエ老人は実在すべきである、との気持ちがそれを忘れさせたのだろうか。)
最後に、司馬遼太郎先生の顰(ひそみ)に倣って余談をひとつ。1960年頃にシャンソン歌手の中原美紗緒が歌いヒットした曲「河は呼んでいる」は同名の映画(L’Eau Vive)の主題歌であるが、この原作と脚本を書いたのはジャン・ジオノその人である。
私はこの老人は実在の人物だと信じた。そしてすばらしい老人がいるものだと感銘を受けた。
このすばらしい老人を知った何十年か後のことである。インターネットで「デュランス河」を検索していた時に、新井 満氏の「木を植えた男と出会って」という7頁ほどのPDFファイルに行き当たった。新井 満氏は、秋川雅史などの歌手により広く世の中に知られることになった「千の風になって」(Do not stand at my grave and weep)の訳者である。
PDFファイルの最初の2頁ほどには、この本「木を植えた男」を読むことになった事情と読んだ感想が書かれていた。続いて、感動のあまり作者のお墓参りをすることとし、作者の故郷を訪れ作者についていろいろと知ることになった経緯と知った内容が書かれている。帰国後には、夫人との共著の形で「木を植えた男を訪ねて――ふたりで行く南仏プロヴァンスの旅」という写真紀行文集を出版したことも書かれていた。
そして最後に、私には衝撃的であったが、この物語がノンフィクション(実話)ではなくフィクション(創作あるいは架空の物語)であったという事実を明かしている。 新井氏は、7頁の文章の最後に、事実はそうであっても多くの「木を植えた男」の存在があったに違いない、と締めくくり、私の心を安らかにしてくれた。
事実は新井氏の書いているとおりであっても、私の心の中では、ブフィエ老人は実在の人物である。この稿を書くに当たり再読したが、この気持は変わらない。(あとがきの中で訳者の原みち子さんは「ブフィエという人物は実在しないことがわかり…」と書いているのに気がついたが、何十年か前に初めて読んだ時には気が付かなかったのだろうか。気がついたがブフィエ老人は実在すべきである、との気持ちがそれを忘れさせたのだろうか。)
最後に、司馬遼太郎先生の顰(ひそみ)に倣って余談をひとつ。1960年頃にシャンソン歌手の中原美紗緒が歌いヒットした曲「河は呼んでいる」は同名の映画(L’Eau Vive)の主題歌であるが、この原作と脚本を書いたのはジャン・ジオノその人である。