取扱説明書

取扱説明書

KEI(2019年5月29日)

 かつて「若き司書の意見」(2018年11月14日付のこの欄)で「大事なことは全て印刷物により知らされる。…文字を読む能力を大規模、組織的に、養い、鍛え、保ち、深めるための装置は書物である」と小説中の若き司書の意見を紹介した。
 若き司書は印刷物について「法律・条例から始まり新聞、薬の効能書、生命保険の保障内容、スーパーマーケットの特売品目等々」を例示しているが、表題とした「取扱説明書」も当然この中に含まれるべきものである。
 最近の若い人たちは言葉を省略し簡単に取説(とりせつ)と言うそうだが、機器類には必ず取扱説明書が付けられている。細かな字で書かれた説明が数十頁にも及ぶことも珍しくない。最近購入したデジタルカメラの取扱説明書は文庫本1冊の厚さに等しく、正に本であった。
 これらの本とどのように付き合うか。書かれている説明は極めて正確である。しかし、実に解りにくい。その正確だが解りにくい文章を四苦八苦して読み解き、何とか機器の操作が分かったと判断した後に、再度取扱説明書の説明文を読み直すと内容が理解でき、実によく考えられた文章であることが分かる。
 特定のテーマにつき、基本事項のみならず例外事項とその対処策をきっちりと説明しているが、原則的な事項と極めて稀に発生する例外事項が同じような比重で書かれている。作成者の業界や組織で慣用的に用いられている言葉を読者も理解できるとの前提で文章が書かれている。
 正確性を重視すれば、そしてある程度の字数で書くとすれば、このようになるのだろうとは理解するが、何とかならないかといつも思う。この思いは老齢に至り細かい字で書かれた文章を読むのが困難かつ面倒になっている私だけではないだろう。
 このことに関連して、パソコンが一般市民に普及し始めた頃に書かれた文章を思い出した。誰のどの著書だったかを思い出せなく、正確に引用できないのは残念だが、概要は次のようなものだった。
 ある会社は自社の販売したパソコンについて、消費者からの質問や照会が数多く、対応に困っていた。
 そこで、その会社にとって何代目かのパソコンの取扱説明書の作成を、初めての試みだったが、パソコンについての知識が全くない作家に依頼した。作家は横にいるパソコンの技術者に取扱方法を聞きながら、取扱説明書を作成し始めた。「最初にコードをパソコンに繋ぎます」と技術者は言う。それを聞いて作家は「コードは幾つもあるがどのコードをパソコンに繋ぐのか」「パソコンには穴が幾つもあるが、コードのどちら側の器具をどの穴に繋ぐのか」と質問し、その答を分かり易く文章に書く。このようにして取扱説明書が完成した。
 この結果、この取扱説明書が付されたパソコンに関しては、消費者からの質問が以前のパソコンに比べて劇的に減ったという。(これには後日談がある。その後、新しく開発されたパソコンについて、この作家の作成した取扱説明書を新機種用に改変しつつ使用したが、消費者からの質問は以前と同じ水準に戻ってしまったそうだ。)
 自らがよく知っていることをその分野の素人に正しく理解してもらうような文章を作ることはとても難しい。
 原則的なことだけを最初に分かり易く、必要と考えれば例を挙げて書く。使用する用語は一般的に使われている用語を一般的な意味で使う。そしてその後に例外的な事項について触れる。簡単なことではないか。
 このようなことを考えながら、文庫本を読むつもりで、新しく買ったデジタルカメラの取扱説明書と格闘した。