手帳に書かれた文章と数字から

手帳に書かれた文章と数字から

KEI(2019年1月9日)

 リタイアして何年間かが経過した頃、「会社の尾っぽを引きずるのはもういいだろう」と思い、業務関係の手帳を全て処分した。
 処分した手帳のうち何年間かの手帳の最後のメモ欄にはその年に読んだ書物の書名、著者名、発行所名がメモされていた。84冊の書名だけが細かな文字で列挙されている年もあった。
 処分するに際しては、一応すべての書名に目を通した。内容とともにその書物を読んだ頃のいろいろを思い出すこともあった。残念なことに「この本も読んでいたんだ」「どのような内容だったのだろう」と読んだこと自体を忘れている本や内容を全く思い出せない本もかなりあった。
 中に1冊、ある年の手帳には、書名・著者名・発行所名に加えて、短い1~2行の文章が小さな字で書かれていた。
 内容は、その本に書かれていた文章の抜粋だったが、その中にはその後の日常生活や社会生活において、種々の場面で自らのものとして発していた言葉が幾つかあった。読書の際によほど心に残り、何年か反芻するうちにいつの間にか自分の考えと同化したのだろう。
 84冊の書名が書かれていたのは、業務の関係で毎週東京・大阪を往復していた年だった。新幹線の中で、あるときはビール片手にあるときは素面で、読書を楽しみ、読書に勤しんだのだろう。この意味で「新幹線は私の書斎だった」。
 この84冊の内の1冊も机の前に座って読んではいないに違いない。読んだのは通勤途上を含めて全て乗り物の中だったことは間違いない。
 俗に「三上」(欧陽脩「帰田録」の「余、平生作る所の文章、多くは三上に在り」から)といわれる。馬上、枕上、厠上であり、文章を考えるのに最も良い場所を言っているが、最近では、よいアイデアが出やすい状況を言っているとか、読書の最良の場所と考えられるとされている。そして現代の馬上は「電車に乗っているとき」だろう。
 1000年も前の中国の賢人も同じようなことをしていたと考えるのは愉快である。