図書館とわたし

図書館とわたし

KEI(2015年8月19日)

 図書館という言葉から想起する現実の図書館が2つある。最初に頭に浮かぶのは、市立の中央図書館とその分館である。中央図書館は我が家から歩いて10分程のところにある緑豊かな公園内の4階建のビルであり、その分館は、利用者の便を図ったのだろう、駅前のビルの5階にある。
 特に予定のない午後にこれらの図書館に散歩を兼ねて足を向ける。最近では特に何を調べる、誰の本を借りるという当てもなくのんびりと棚を眺め、その時々に目に付いた書物を数冊借り出す。近頃では9ヶ所に分かれている当市の図書館の蔵書の全てをインターネットで検索でき、希望する図書館のカウンターで受け取ることができる。便利と言えば便利であるが、私は本の顔を眺めて選択するのが好きである。
「図書館で借り出す本は、自分が一番読みたい本ではなく、二番手の本である」ことにはずいぶん前から気付いていた。一番気になる本は手元に置きたい、という気持ちがそうさせるのだろう。とは言うものの、蔵書の整理と処分を始めている現在では、意識して一番手の本を選ぶようにしている。
 頭に浮かぶ2番目の図書館は、国立国会図書館である。現役の頃には、コピーサービスで何度かお世話になった。入手困難な雑誌に掲載されている論文や古い専門書の必要部分をコピーしてもらったのだが、コピー代の高いのには驚いた。
 この国立国会図書館には、大学写真部OB仲間と年に1号の割合で発行している写真集が現在時点で15号まで保存されている。2000年に第1号を発行したときに、誰かが「法律の規定では、この写真集も国立国会図書館に納本しなければならないはずだ」と言い出した。幹事が図書館に出向き照会したところ、納本する必要があるとのことで、発行のつど届けてくれている。
 関西館が建設され収蔵能力が1,840万冊(1冊当り厚さ3㎝で計算するそうだ)に増えたと教えられたが、我々の趣味の写真集が、極めて小さな部分とは言え、そのスペースの一部を占領するのは心苦しく思っている。現役時代の多額(?)納税に免じて許してもらおうと考えているが、なによりも、我々仲間の写真集が永久に残ると考えることは愉快である。